和を紡ぎ、伝え、繋げる
東海道の宿場町だった四日市は往来が多く、餅や茶の清算が盛んでした。
餅や茶を作る道具であった石臼の製造業として誕生した華月の前身は、時代の変化とともに部屋を彩る花器作りを始めました。
その後、花器の作陶家として「華月さん」といつしか親しまれるようになり、長い時を経た今日もその名を受け継いでいます。
時代の変化とともに、私たちは様々な変化を続けてきました。しかし同時に、絶えず日本の食文化に寄り添ってきました。
昨今、多様な文化が広がる中で、和の文化は衰退傾向にあります。
日本人の心に器作りで寄り添ってきた私たちは、「和文化を次世代に繋ぐ」を使命にものづくりをしています。